Assumptionを疑うようにしよう

チームが6つ用意され、チーム対抗でジグソーパズルを13分以内にやる課題があった

 

1番早くジグゾーパズルを完成させたチームが勝利となる

 

このゲームの後のリフレクション

 

勝利したチームは勝利の余韻にひたり、他のチームを助ける事はなかった。

なぜだろうか。

 

ゲームの説明を受けた時、特に解説はしていないが、以下の想定を参加者は共通認識として持っていた

 

まずは角を固めに行く進め方をすること

完成系は四角であるという共通認識があること

完成したときに何か絵が見えると言う理解があること。

パズルを組み合わせる時に、表と裏の組み合わせは想定していないこと

 

今回のパズルは、表と裏を組み合わせないと噛み合わない仕組みとなっていた

表面だけで何とかパズルを完成させようとしていたチームは、時間内にパズルを完成させることができなかった

この暗黙の想定を疑うことがなければ、パズルを完成させる事はできなかった

 

我々はこのパズルのゲームのように、様々な想定を自らの中に置いて活動をしている

特に、そのような条件が付与されたわけではないのに、自ら制約を課している

 

しかし、その想定が本当に今もワークするものなのか、この状況でワークするものなのかと、疑いを持つ、疑問を持つと言う発想を持っていないことが多い

 

自らの暗黙の想定に気づく事はなかなか難しいが、そもそもそういう発想を持つように心がけることから始めよう。

自ら制約を課しているだけかもしれないから