ロックダウン初日11/2(月)

カミユのペストでは立場の異なる方々がどうペストに向き合ったのか描かれている

 

後に文豪・思想家としてデビューするにあたり当時の記憶を辿る貴重な情報参照元になると思うので、とりあえずデイリーで様子を記載してみる

 

ロックダウン前日にプールやジムで追い込んだこともあり初日の身体は良好

 

日中は業務の合間にドイツ人が大好きな散歩を少々

日が照っている時に外を歩くのは体に良さそう

これはロックダウン中意識して日課にした方が良いかもしれない

 

平日の日中に歩いたことはあまりないので人の動きが減っているか否かは分からないが、レストランはテイクアウトのみの営業に1日にして変わっている

テイクアウトはまだ開拓していないので一つのテーマ

 

フランスなどでは深夜の外出が禁止されているが、ミュンヘンは禁止されていないので深夜ランニング

 

21時ごろは人が結構いた記憶があるがまるで深夜のような人数と静けさ

家々の落ち着いた電球がついている点が深夜ではないことを物語る

ランニングしている人にはよく行き交う

 

ランニングが程良かったのか、米国公認会計士の勉強がその後1時間集中して出来た

 

とりあえず昔東南アジア青年の船に合格して時間の使い方を変え、ずっと会計士の勉強をペンディングしていたのでこれを契機に決着させたい

環境は整っている

 

日々高いモチベーションを維持しなくとも歯磨きをするように毎日やれば合格出来る

後はやるだけ

とにかく余裕時間がない

 

 

ドイツも11/2よりロックダウン開始

ドイツミュンヘンでも、11/2(月)から1ヶ月ロックダウンを開始

 

例えば私に影響あるところだと、ジム、サウナ、プール、サルサクラスの営業が禁止され、運動は1人か2人までに限られる

つまり、チームスポーツは禁止

 

ロックダウン前日の日曜は、人数制限がある中でもプールとサウナが特に人気であった

サウナは1時間ほど空きが出るまでプールで泳いで待った

 

またレストランやカフェも最後の営業可能日だからか人数制限はある中でも大方満席だったように見えた

 

元々パンデミックでなくても、新しい業務ということもあり、寝る時間以外は仕事に費やさないとこなし切れない状況で時間がないので個人的には困っていないが、多くの方はロックダウン下で何をするかが話題の中心

 

以下ロックダウンの抜粋だが、経済対策と感染予防のアプローチが日本とドイツでは異なる

 

日本ではGo to travel で人に動いてもらい政府からも旅行者からもお金を落とすアプローチだが、ドイツは人の動きは完全に止めてお金は政府が支援と打ち出した

また今回は学校は開き続けるなど春のロックダウンのような一律な対応ではない

 

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ドイツにおける新型コロナウイルスの急速な再拡大を受け,10月28日,メルケル首相と各州首相による協議が行われ,ドイツ全土の平均で75パーセント以上の感染事例において感染経路が明らかでない(ロベルト・コッホ研究所統計)状況を踏まえ,更なる感染拡大を防ぎ,感染経路を追跡し得る水準まで低下させる必要がある

 

旅行制限
不要不急の私的旅行や訪問(親族訪問を含む)の自粛を要請する。これはドイツ国内の移動にも適用され,地域を越える日帰り旅行にも当てはまる。ドイツ国内の宿泊施設の提供は,必要不可欠で,かつ明らかに観光目的でない場合にのみ可能。

 

学校及び幼稚園(Kindergaerten)は開き続ける。

プロスポーツ選手および州・連邦の強化選手のトレーニングと試合については、報道関係者のみが会場に入ることを許可した無観客での実施とする。

・体育館、運動場、ダンススタジオ等の施設は、プロスポーツ選手および州・連邦の強化選手のトレーニングと試合を除き使用禁止。
・フィットネススタジオは閉鎖

 

公共の場でのパーティーは、参加者の構成にかかわらず禁止。

 

メイクスタジオ、マッサージ施設、タトゥースタジオといった顧客との距離を保つことのできないサービスを提供する施設は閉鎖する。ただし、理髪店については、店員、顧客が口と鼻を隠すものを装着し、感染予防措置を提出することで例外的に許可される。

 

あらゆる種類の飲食店は閉鎖する。ただし、宅配および持ち帰り商品の提供は許可する。

 

会議・メッセおよび展示会は禁止

 

以下の文化施設は閉鎖する。
博物館・美術館、展示、記念碑等設置場所、州の管理する城・庭・湖、その他文化施設、動物園および植物園、劇場・コンサート会場、映画館。

 

特別経済支援
一時的な閉鎖によって影響を受ける企業,自営業者,団体及び施設に対して,収入の減少を補填するために特別な経済支援を行う。

舞姫

東大医学部を19歳で卒業した森鴎外舞姫(1890年)は、ドイツ留学の体験をもとに書かれた小説と言われている

 

森鴎外ははじめはライプチヒに約一年滞在しライプチヒ大学にて学ぶ

 

その後ドレスデンにて軍医講習に数ヶ月参加

 

そしてミュンヘンに移りミュンヘン大学でも一年余り学ぶ(1886年3月8日から翌年4月15日までの1年余)

「ビールの利尿作用」についての研究を発表し、ビールを飲むと摂取した量以上の尿が生成される作用はビール特有の成分ではなく、アルコールによるものであると突き止めた

ビールを飲むとトイレが近くなることをちゃんと発見している点はニュートンのりんごのようだ

 

最後にベルリン大学で近代細菌学の開祖コッホから指導を受けた

 

ドイツ留学三部作の一つ「うたかたの記」は、バイエルン国王ルードヴィヒ2世の溺死自殺を背景に書かれた

ルードヴィヒ2世は、シンデレラ城のモデルと言われるノイシュバイン城をつくった

 

森鷗外は、ゲーテファウストや、アンデルセンといったドイツ文学を日本語に翻訳もしている

 

ちなみに個人的にはエリーゼやエリスという名前のドイツ人をまだ見たことがない

 

 

 

ルターと聖書翻訳、ドイツ原発

世界には、約2000の言語と方言があります。そのうち1200語以上に、聖書とその分冊が訳されています(最も多く翻訳された本)。

 

1534年、マルティン・ルターがドイツ語の聖書を発行したときは、約15の翻訳がなされていました。1600年には40種類となり、1700年には52種類でした。その後、全ヨーロッパに多くの伝道グループが起こり、この人々は全世界に福音を伝える使命を神から受けて、各国へ出かけて行きました。当然、その土地の言葉の聖書が必要です。そこで大勢の言語学者たちが、聖書の翻訳という困難な業をなしとげていったのです。1800年に75の翻訳となり、1900年には567、1953年には1167、そして今日では実に1200以上の翻訳があるのです。

 

私の想像に過ぎないが、言語学が発達したのは聖書の翻訳の仕事があったことも大きい

同じように原子力発電も原爆が大きい

原爆開発で培った知識や人材や技術の有効活用として原子力発電

ドイツが原発を辞める決断をしたのはそういったサンクコストにとらわれない理念に基づくものだったのであろう

一方、ドイツ政府は訴訟をかかえていると聞いている

何が正しいかは立場によって違うが日本の方向性も注視したい

 

ルターと活版印刷

かつてラテン語で書かれていた聖書を読める人は一部の特権階級だけであった

 

ラテン語からドイツ語に翻訳して裾野を広げたのがルター

更にグーテンベルグ活版印刷

 

一部の人のものであったものを大衆化した

 

メディアも、かつて媒体が限られTVで一部の人のみが発信出来るという限定されたものだったが、YouTubeSNSの発達により大衆化しつつあり、かつてのTVのパワーが相対的に落ちてきている

 

アメリカの選挙活動におけるお金の使い方がTV広告だけでなく、SNSだというのがその流れを写す

 

ルターと活版印刷のようだ

 

 

聖火リレーの発祥はナチス

ナチスドイツが、1936年の第11回ベルリン大会にて、アテネからベルリンまで聖火ランナーをはじめて走らせた

そのルートは、バルカン半島を北上し、ブルガリアユーゴスラビアハンガリーオーストリアチェコスロバキアを経由し、ドイツのベルリンに向かった

 

戦争のルートの下調べにも利用され、ナチスドイツが各国に侵攻する際に、聖火ランナーが通った道を逆走した

 

ナチスは、記録映画、ドキュメンタリーをつくってアピールに使った

 

平和の祭典として続いていることは感慨深い

発祥がどうであれ、どう育てるかは人次第

 

 

秋のニンフェンブルク城

自転車で20分ニンフェンブルク城に行き散歩してみた

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常に無料開放されており、城内の庭園は徒歩のみ

 

散歩を楽しむ老若男女が沢山見受けられる

 

今までで一番車で混み合っており、人々の行き先があまりないことと公共交通機関よりマイカーという考えなのかと推測した