無宗教である日本の珍しさは、特に国外に出て感じる
宗教には、先人の知恵が詰まっており、価値観の拠り所の一つとなる
ミュンヘンも、日曜日は安息日といったカトリックの影響を受けた法律等が適用されている
日本人が無宗教というのは、あえてそういう選択を明治頃過去の偉人が実施したのではないか、と最近思い始めている
権力、主権を誰が取るかと言う観点でそのように考えるに至ってきた
昔織田信長が仏教を攻撃した
私の理解ではこれは権力、主権、影響力といったものの取り合い
彼が権力を掌握していく中で、人々に影響力のある相手で彼の意に沿わないものの1つに仏教があり、倒したのではないか
支配にあたり、人々に影響力のあるキリスト教は彼にとっては面白くなかったのかもしれない
もっと飛躍すると、キリスト教を直接攻撃しすぎると多くの人々の反発を招くので、ユダヤ教を攻撃することで、間接的にキリスト教の影響力を削ぎ落とそうとした側面もあるのではないか
キリスト教には新約聖書と旧約聖書とあるが、キリスト教にとっての旧約聖書はユダヤ教にとっては聖書であるので
日本は戦時中、お国のために、という価値観に洗脳されていた
これは宗教という価値観を人々から一旦解放させて、そのような新たな価値観を植え付けさせたところにある気がする
大名がいた江戸時代から、お国のために、という価値観はないと思う
戦後は、男は家庭よりも仕事、という価値観を強烈に推進して、経済的に成功させた側面があると思う
そして今の日本は、人口減少に起因する問題を解決するために、女性活用等、新たな価値観を人々に根付かせようとしている
大方の日本人は、一生通常変えることのない宗教がないので洗脳されやすく、一旦洗脳されたらその価値観で邁進し、それが通用しなくなったら目醒めて、また新たな価値観を植え付けていくような気がする
洗脳というより、レジリアンスと評せるかもしれない
なぜ仏教伝来があったのに、今の日本人の大半は無宗教とされるのか
それは、権力の奪い合いで宗教が地位を落としたのと、日本という社会をどうすればより良くできるのか思想レベルで構想した人々がいた気がしてならない