ドイツの3K

ドイツの3K


子供(Kind)
台所(Küche)
協会(Kirche


1900年に施行されたドイツ民法典では、ドイツにおける家族が初めて制度として確立。この法典では、妻の役割は3Kとされ、この家族観はワイマール憲法にも引き継がれた


そもそも家族(Familie)という概念が登場するのは18世紀ごろ
それまでドイツ語には親子関係を示す言葉はなく、家(Haus)という言葉が一般的に使われた


ドイツを含む欧州の多くで、キリスト教の普及前は、結婚とは家長が花嫁を花婿に引き渡すことであり、当事者同士の意思に基づくものではなかった


その後の宗教改革をはじめ、カントやヘーゲルなどの啓蒙主義に影響を受け、結婚は教会から国家によって管理されるものへと変化


ヘーゲルは特に家族とは愛(Liebe)を基盤とするものであると考え、結婚を人々の精神的・道徳的な関係として捉えた


18-19世紀の近代化に伴って分業が進むと、夫が働きに出て、妻が家庭を管理し子供を育てるという、近代家族が都市部のブルジョア市民の間で普及


  1900年に施行されたドイツ民法典では、ドイツにおける家族が初めて制度として確立。この法典では、妻の役割は3Kとされ、この家族観はワイマール憲法にも引き継がれた


その後ナチスが政権を掌握すると、人種差別的かつ強制的な人口政策を開始。女性の義務は子供を産み育て、国家・民族共同体の一員として送り出すことであるとされたほか、戦争へ行く父や息子たちに代わって重要な労働力ともされた


60年代末、学生運動や反体制運動など、権利平等を求める運動が次々と現れるなかで、男性を中心とした社会に対して女性たちも声を上げた


ドイツでは1976年の婚姻法や家族法の改正が実現。婚姻における男女同権や苗字の選択制の採用、妻の家庭外での就業が権利として認められると同時に、家事が夫婦双方の義務として位置づけられた


2017年にはドイツでも同性婚が合法化され、全ての人のための結婚が法の下でも認められた


今日、従来の家族の有り方に拘束されない、より対等で自由な関係性が追及されている


制度的な結婚の手続きに囚われないパートナーシップ、ひとり親家庭やパッチワークファミリー(P10。日本ではステップファミリーとして知られている)、養子縁組や里親制度を利用する家族も増加

 


多文化はお互いの文化から多くを学ぶことができるし、異なる価値観に対して寛容になれるので、豊かなこと