ニーチェは、神は死んだ、超人、で有名
神は死んだとは、大方の日本人には分かりにくいことであるが、キリスト教的世界観の終わりを象徴する
天動説と地動説はあまりにも有名
かつてキリスト教が国教として活用され、大衆はキリスト教的世界観を頭の中のデフォルトとし、そこで解釈できないこと、日々の苦悩といったことをキリスト教以外で埋め合わせようとしていた
その1つに哲学がある
そして科学が発展してからは、人々はキリスト教的世界観ではなく科学と言う眼鏡を通じて世界を解釈するようになった
そしてそこでも科学的に解釈できないことや日々の苦悩といったことを哲学で解決しようとした
また、宗教に答えを求めた人もいた
こういう文脈で現在を捉えると、AIが出現し、人間とは何かと言う問いに今まで以上に向き合っているように感じる
そしてかつての人類と同じように、哲学や宗教といったことに解決の種を求めている
かつては神がそう言っているから、といった理由付けで当時の人々は納得していた、と歴史の教科書で書かれている
現代の人々からすれば信じられないことではある
しかし、そこに疑問の余地は当時は大方生じなかったのであろう
同じように、そして将来はきっと科学的にはそうだから、とかつての人類は言っていたと将来の歴史の教科書に書かれているかもしれない
なぜならば、かつてキリスト教的世界観で理解及び解釈できない事は世界には沢山あり、科学でも同じように理解及び解釈できない事はまだまだ沢山あるからだ
きっと科学を発見したように、新たな発見を人類はするに違いない
そして科学が発展してからも宗教が残っているように科学も残っていくのであろう
ニーチェの超人というコンセプトは、どれだけ批判をされても自己肯定を続けるという力への意志を指す
そもそもキリスト教の考え方は、強い者より弱い者が救われるというのがある
ニーチェはそれを暗黙的に信じるのではなく、強くなるべきだ(超人)、とキリスト教の考え方だけではないとした点が画期的であった
ヒトラーはこうしたニーチェの主張を拡大解釈して活用したと言われている
つまり、アーリア人は強くあるべきだし、実際に強い、そして強いものが弱いものを支配するべきだと
また、旧権力の象徴であるキリスト教を否定していると言う意味でも、きっと都合が良い思想であったのであろう
自分たちが今どういう社会に生きているのか、と言うことを我々人類の歴史を通じて改めて見てみると、今までとは違ったメガネで物事を見ることもできるようになる
特にこの社会をどういう風に運営していくのかと言う視点で、どういう思想を大衆に植え付けようとしているのかといったことを考えている人々もいるという視点は面白い